FRORA(フローラ) (⑤Oiva Toikka Glass and Design part 5)

Oiva Toikka Glass and Designを読み、思ったことや調べたことを書いています。

長いシリーズになると思いますので、気長にお付き合いください😊

間違っている箇所があるかもしれません。ご容赦ください。

前回カステヘルミの続きにもなります。

今回は「FRORA」のお話です。

「FRORA」

生い茂る花や植物の装飾がなされた食器(グラス・ボウル・プレート)が今も世界中の人々に愛されています。

f:id:aamun_valoblog:20221007135802j:image

カステヘルミの登場から2年後の1966年、「FRORA」が発表されました。

1991年に惜しまれつつ廃盤。2014年にScopeさんで復刻。2019年iittalaも復刻しています。

当初は機械吹き用としてデザインされましたが、(少しの例外はありますが)現在に至るまでマウスブロー(口吹き)で製作されています。

Floraはマウスブローで作るもの
って、デザイナーのオイバ・トイッカが言っていました。実際は、オイバもプレスガラスで作る予定だったのですよ。でも、フローラはマウスブローで作るべきだと、当時の工場長がアドバイスして今の形となります。

出典:from scope apartment
 

マウスブローは1つ1つ職人さんが吹いて作っているため、当然個体差がでますが、そこに温かみを感じます😊✨

そこに人が作った証があり、スコープはそこに強く価値と温かみを感じています。
そういった物を実生活の中心に置き、末永く大事にしていきたいのです。
出典:iittala / Flora(フローラ)

Birdシリーズもそうですが、個体差は面白さを感じるところでもあり、魅力なのだと思います。

FRORAも当初はかなり重いものだったようですが、試行錯誤により次第に軽いものになったということです。

「FRORA」はポップアート、フラワーパワー運動などの時代の流れにも乗り大成功を収めました。このフラワーパワー運動とは…?

フラワーパワーについて、正確に知らなかったため、調べてみました。

f:id:aamun_valoblog:20220618100749j:image

フラワーパワー運動
「武器ではなく花を」
このスローガンは、1960年代後半から1970年代初頭にかけてベトナム戦争への反対運動の受動的抵抗と非暴力の象徴として使用されたスローガンでした。

アメリカの詩人アレン・ギンズバーグが、戦争の抗議を平和的で肯定的な光景に変える手段として提唱し、ヒッピーをはじめとした多くの人達に受け入れられました。
※ベトナム戦争(1955~1975)

f:id:aamun_valoblog:20220618100806j:image

MARIMEKKOのデザイナーで有名なマイヤ・イソラ(Maija Isola)も、OivaがFRORAをデザインする2年前の1964年に、大きなケシの花を描いたウニッコ(Unikko)をデザインしています。

当時、MARIMEKKO創業者であるアルミ・ラティアは、実際の花には叶わないという理由で「花」のデザインを禁止していました。しかしマイヤは自分の意思を貫きUnikkoをデザインしたのです。

f:id:aamun_valoblog:20220618101010j:image

「FRORA」はポップアート、フラワーパワー運動などの時代の流れにも乗り大成功を収めた・・・

正確には本には以下のように記述してあります。

The launch of the range
could not have been better timed when viewed within the context of Pop Art, flower power and youth culture, and it became a very popular product with the consumer and a highly profitable product for the Nuutajärvi factory.

このシリーズの発売は、ポップアート・フラワーパワー・若者文化の流れでみると、これ以上ないほどのタイミングであり、消費者に大人気の商品となり、 Nuutajärvi 工場での収益性の高い商品となった。

Oiva Toikka Glass and Design  P46

FRORAの柄はOivaが平和を願いデザインしたものだったのかもしれない!と思い、本を読み進めましたが、さすがにデザインの意図までは本では言及されていませんでした。

(個人的には時代のエッセンスを切り取る卓越した才能を持つOivaなら、そういった想いを込めていたのかも、とこっそり想像しています)

確実に言えることは、「花」をモチーフにしたOivaの”FRORA”とマイヤ・イソラ(Maija Isola)の”Unikko”はほぼ同時期にデザインされ、それは戦争に反対するフラワーパワー運動のさなかであった、ということです。なんだか興味深い物があります😌

ビルガー・カイピアイネンのParatiisi(1968年)もこの頃です。

作品が生まれた当時の世界情勢などについて、知らなかったため、今回調べてみることで理解が深まりました。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。次はFRORAから1年後に登場したBANBOOのお話を書こうと思います。

Oiva 足跡 年表(自分の備忘録的な目的です)

・1931年 5月29日 Oiva Toikka 誕生

1953年 ヘルシンキ工業大学陶芸学科に入学

・1956年 Nuutajarviの工場で研修生として働く

・1956~1959年 Arabia在籍

・1959年 秋 ヘルシンキの芸術教育学科に入学し、教員資格を取得

・1960~1963年 高校の美術教師

・1963年 Nuutajarviの工場 デザインチームに入職

・1964年 カステヘルミ(Kastegelmi)デザイン

1966年 FRORA デザイン

 

 

参考文献

Oiva Toikka Glass and Design 

memento フラワーパワー