LOLLIPOPとPOMPOM(⑦Oiva Toikka Glass and Design part 7)
1968年、Oivaは1960年代の大衆文化の興奮からインスピレーションを得て、ポップアートの重要な要素である色彩・印象的なイメージ、遊び心を反映した数々のアイディアを試みました。LOLLIPOPもその中の1つです。棒つきキャンディー(ロリポップ)をモチーフに製作されました🍭🍭🍭

今回はOivaのLOLLIPOPが生み出された基となった、1960年代の大衆文化の興奮とも表現されるポップアート(芸術運動)について調べてみました😊!
ポップアートとは・・・
1950年代半ばにアメリカ大衆文化の影響の基、イギリスで誕生しました。
大量生産・大量消費の社会をテーマとして表現する現代美術の芸術運動の1つです。
ポップアートは単なる一過性の運動ではなく、1960年代初頭から後半まで約10年間を席巻したムーブメントでした。ポップアート運動の中では、大量生産・大量消費社会を皮肉をこめてデザインしたものもあれば、むしろ自分達を取り巻く社会の風景を、山や海や農村にかわる新しい「風景」ととらえたものもありました。
代表的なポップアートのアーティストとして、ロイ・リキテンスタインやアンディ・ウォーホルがいます。
ポップアートの先駆けと位置づけられている作品に、イギリスの画家Richard Hamilton(リチャード・ハミルトン)が1956年に発表した「Just What Is It That Makes Today’s Homes So Different, So Appealing?(一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか)」があります。

ドイツのテュービンゲン美術館に所蔵されています。
雑誌や広告の魅力的な商品やゴージャスなモデル写真を切り貼りしたコラージュです。
ハミルトンは翌年、この展覧会を振り返って「ポップ」(大衆文化)を次のようなものだとしました。「通俗的、一過性、消耗品、安価、大量、若々しい、しゃれた、セクシー、見掛け倒し、魅力的」
この写真、裸の男女も目をひきますが、私が特に気になったのはボディビルダーの男性です。この男性が持っているのは・・・・
なんと「POP」の包み紙のロリポップキャンディーなのです🍭✨
この作品とOivaが1968年にデザインした「LOLLIPOP」。
何か関連があるのでしょうか🤔
本には以下のように記載してあります。
In 1968, Toikka experimented with a number of ideas that took their initial inspiration from the excitement of 1960s popular culture, reflecting the colours, striking imagery and sense of fun that were important elements of Pop Art.
1968年、Toikkaは1960年代の大衆文化の興奮からインスピレーションを得て、ポップアートの重要な要素である色彩、印象的なイメージ、遊び心を反映した数々のアイディアを試みている。P56 Oiva Toikka Glass and Design
「1960年代の大衆文化の興奮からインスピレーションを得た」と書いてあるので、Oivaがこの作品を知っていたとしてもおかしくありません😊✨
自分なりのガラスという媒体を用いて、当時の大衆文化をデザインしたのではないでしょうか☺️🍭
「LOLLIPOP」は平らな上部がもたらす表面積を最大限に利用し、そこに赤・青・緑・黄・黒・紫といった鮮やかな色を組み合わせて製作されています。この色は、光があたると一層美しく輝きます。Oivaは、「LOLLIPOP」のアイディアは当時Nuutajarviで使用されていた「病的な程甘い色」が、LOLLIPOPの製作に適していると考えたからだと振り返っています。
LOLLIPOPは、非常にシンプルでありながら魅力的なコンセプトであり、その後POMPOM VASEなどに派生していきます。
本には以下のように記載してあります。
The secret of the LOLLIPOP and POM POM series suc cess resided in the duality of their appeal and the ability to remain on the one hand humorous, colourful, childlike objects, whilst simultaneously making profound sta tements about the relationship of glass wit hin a wider creative dialogue that seemed to accurately reflect the unconventional spirit of >>Pop≫ culture.
LOLLIPOPとPOM POMシリーズの成功の秘密は、その魅力の二面性にあります。ユーモラスでカラフルな子供のようなオブジェでありながら、同時に「ポップ」文化の型破りな精神を正確に反映したような、幅広い創造的対話におけるガラスの関係性について深い洞察を与えることができるのです。
Oiva Toikka Glass and Design P60
「LOLLIPOP」や「POMPOM」がどういった背景で製作されたかを知ることで、よりこの作品が好きになりました。時代を超えた魅力というものは、ガラスにこめられた想いや背景を知ることで増幅される気がします。
残念ながらLOLLIPOPとPOM POMシリーズは持っていないのですが、しっぽがPOM属(?)ということでこの子達の写真を・・・。
OivaToikkaと1960年代
本を読んでいると、
1960年代は「カステヘルミ(1964)」「FRORA(1966)」「BANBOO(1967)」「LOLLIPOPとPOMPOM(1968)」など、現在も世界中の人々の心をつかんで離さない多くの作品をOivaが製作した年代であることを再認識しました。
1960年代の世界情勢は、ベトナム戦争の泥沼化による反戦運動の広がり(フラワーパワー運動)、第2次世界大戦後の先進国における大量生産、大量消費社会をテーマとして表現するポップアート運動などがあります。
Oivaは時代の流れのエッセンスを「カステヘルミ(1964)」「FRORA(1966)」「BANBOO(1967)」「LOLLIPOPとPOMPOM(1968)」を始めとしたガラスへと昇華させたのだと思います。
このたくさん作品が、後に続くBirdシリーズ(1972年~)へとつながっていったのでしょう。
本の大まかな内容に沿って進んでいますが、読んだ上での感想や自分が調べたことが多いので、本の翻訳というわけではありません。ご了承下さい。
また、調べたことに関しては参考文献も載せていますが、間違っていることもあるかもしれません。その際はご教授頂けますと幸いです。勉強になります🙇♀️
Oiva 足跡 年表(自分の備忘録的な目的です)
・1931年 5月29日 Oiva Toikka 誕生
・1953年 ヘルシンキ工業大学陶芸学科に入学
・1956年 Nuutajarviの工場で研修生として働く
・1956~1959年 Arabia在籍
・1959年 秋 ヘルシンキの芸術教育学科に入学し、教員資格を取得
・1960~1963年 高校の美術教師
・1963年 Nuutajarviの工場 デザインチームに入職
・1964年 カステヘルミ(Kastegelmi)デザイン
・1966年 FRORA デザイン
・1967年 BANBOO デザイン
・1968年 LOLLIPOP デザイン
参考文献
Oiva Toikka Glass and Design
This is Media ポップアートとは?
「ポップアート」 ルーシー・R・リパード著
Just What Is It That Makes Today’s Homes So Different, So Appealing? - Art History Timeline (weebly.com)
BANBOO(⑥Oiva Toikka Glass and Design part 6)
Oiva Toikka Glass and Designを読み、思ったことや調べたことを書いています。
長いシリーズになると思いますので、気長にお付き合いください😊
カステヘルミ、FRORAに続き、今回は「BANBOO」のお話です。
「BANBOO」
1967年~69年の3年間製造されていました。
2021年にOivaToikkaの功績をたたえ「The Curious Mind of Oiva Toikka」のシリーズの1つとして復刻されています。
花瓶としての実用性もありながら、ただ飾るだけでも美しく世界中で人気の作品です。
「竹」をモチーフにしていますが、黄色や赤色、紫色など非常にカラフルで見ているだけで心が元気になる気がします☺️
「竹」について…
竹はフィンランドには自生していません。
竹は、気候が温暖で湿潤な環境で育つ植物で、赤道を中心に北緯・南緯共に40度辺りまで分布します。竹類の北限は日本になるようです。

カステヘルミもそうですが、Oivaデザインは身近にあるものをモチーフにしたものが多いのです。フィンランドに自生していない竹をモチーフにしようと思ったのはどういう理由でしょうか・・・🤔❓
当時から竹も輸入されていたのか、もしくはArabia時代の仲間でありアメリカ留学経験のあるKyllikki Salmenhaara(キーリッキ・サルメンハーラ)に聞いたのか?なんていろいろな想像をしてしまいます😌💚
残念ながらその理由は、この本には綴られていませんでした。
ただ自生していないからこそ、自由な発想で「BANBOO」が出来たのだと私は思います🍀
私の自宅には、竹のお湯のみがあるのですが(もちろんこれも好きです)、やはり竹本来のイメージに近く、カラフルなデザインはなかなか思いつかないかもしれないなあと思いました。

BANBOOの3つの装飾形態について
BANBOOといえば、ガラスの表面に凹凸があるイメージ(下写真)ですが

実際には凹凸があるBANBOOが製造販売される前に、凹凸のないBANBOO(下写真)も製作されていて、2021年復刻のBANBOOはここからきたのだということが分かりました。

1967年にこのBANBOOは展覧会(スウェーデンの著明なガラスアーティストBertil Vallienと共催)に出品され、大きな評判を得ました。
2人の展覧会は、伝統的な束縛から解放された自由奔放さも受け入れられ、評価されました。
BANBOOには凹凸あり・なし以外にもバリエーションがあるようで、細かな装飾がなされているものもこの展覧会には出品されています。

もしも次にiitallaから新しいBANBOOがでるとすれば、装飾があるBANBOOかもしれませんね。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
Oiva 足跡 年表(自分の備忘録的な目的です)
・1931年 5月29日 Oiva Toikka 誕生
・1953年 ヘルシンキ工業大学陶芸学科に入学
・1956年 Nuutajarviの工場で研修生として働く
・1956~1959年 Arabia在籍
・1959年 秋 ヘルシンキの芸術教育学科に入学し、教員資格を取得
・1960~1963年 高校の美術教師
・1963年 Nuutajarviの工場 デザインチームに入職
・1964年 カステヘルミ(Kastegelmi)デザイン
・1966年 FRORA デザイン
・1967年 BANBOO デザイン
参考文献
Oiva Toikka Glass and Design
BANBOO Home Page 竹・笹の分布図(渡辺政俊 1987)
FRORA(フローラ) (⑤Oiva Toikka Glass and Design part 5)
Oiva Toikka Glass and Designを読み、思ったことや調べたことを書いています。
長いシリーズになると思いますので、気長にお付き合いください😊
間違っている箇所があるかもしれません。ご容赦ください。
前回カステヘルミの続きにもなります。
今回は「FRORA」のお話です。
「FRORA」
生い茂る花や植物の装飾がなされた食器(グラス・ボウル・プレート)が今も世界中の人々に愛されています。

カステヘルミの登場から2年後の1966年、「FRORA」が発表されました。
1991年に惜しまれつつ廃盤。2014年にScopeさんで復刻。2019年iittalaも復刻しています。
当初は機械吹き用としてデザインされましたが、(少しの例外はありますが)現在に至るまでマウスブロー(口吹き)で製作されています。
Floraはマウスブローで作るもの
って、デザイナーのオイバ・トイッカが言っていました。実際は、オイバもプレスガラスで作る予定だったのですよ。でも、フローラはマウスブローで作るべきだと、当時の工場長がアドバイスして今の形となります。
マウスブローは1つ1つ職人さんが吹いて作っているため、当然個体差がでますが、そこに温かみを感じます😊✨
そこに人が作った証があり、スコープはそこに強く価値と温かみを感じています。出典:iittala / Flora(フローラ)
そういった物を実生活の中心に置き、末永く大事にしていきたいのです。
Birdシリーズもそうですが、個体差は面白さを感じるところでもあり、魅力なのだと思います。
FRORAも当初はかなり重いものだったようですが、試行錯誤により次第に軽いものになったということです。
「FRORA」はポップアート、フラワーパワー運動などの時代の流れにも乗り大成功を収めました。このフラワーパワー運動とは…?
フラワーパワーについて、正確に知らなかったため、調べてみました。

フラワーパワー運動
「武器ではなく花を」
このスローガンは、1960年代後半から1970年代初頭にかけてベトナム戦争への反対運動の受動的抵抗と非暴力の象徴として使用されたスローガンでした。
アメリカの詩人アレン・ギンズバーグが、戦争の抗議を平和的で肯定的な光景に変える手段として提唱し、ヒッピーをはじめとした多くの人達に受け入れられました。
※ベトナム戦争(1955~1975)

MARIMEKKOのデザイナーで有名なマイヤ・イソラ(Maija Isola)も、OivaがFRORAをデザインする2年前の1964年に、大きなケシの花を描いたウニッコ(Unikko)をデザインしています。
当時、MARIMEKKO創業者であるアルミ・ラティアは、実際の花には叶わないという理由で「花」のデザインを禁止していました。しかしマイヤは自分の意思を貫きUnikkoをデザインしたのです。

「FRORA」はポップアート、フラワーパワー運動などの時代の流れにも乗り大成功を収めた・・・
正確には本には以下のように記述してあります。
The launch of the range
could not have been better timed when viewed within the context of Pop Art, flower power and youth culture, and it became a very popular product with the consumer and a highly profitable product for the Nuutajärvi factory.このシリーズの発売は、ポップアート・フラワーパワー・若者文化の流れでみると、これ以上ないほどのタイミングであり、消費者に大人気の商品となり、 Nuutajärvi 工場での収益性の高い商品となった。
Oiva Toikka Glass and Design P46
FRORAの柄はOivaが平和を願いデザインしたものだったのかもしれない!と思い、本を読み進めましたが、さすがにデザインの意図までは本では言及されていませんでした。
(個人的には時代のエッセンスを切り取る卓越した才能を持つOivaなら、そういった想いを込めていたのかも、とこっそり想像しています)
確実に言えることは、「花」をモチーフにしたOivaの”FRORA”とマイヤ・イソラ(Maija Isola)の”Unikko”はほぼ同時期にデザインされ、それは戦争に反対するフラワーパワー運動のさなかであった、ということです。なんだか興味深い物があります😌
ビルガー・カイピアイネンのParatiisi(1968年)もこの頃です。
作品が生まれた当時の世界情勢などについて、知らなかったため、今回調べてみることで理解が深まりました。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。次はFRORAから1年後に登場したBANBOOのお話を書こうと思います。
Oiva 足跡 年表(自分の備忘録的な目的です)
・1931年 5月29日 Oiva Toikka 誕生
・1953年 ヘルシンキ工業大学陶芸学科に入学
・1956年 Nuutajarviの工場で研修生として働く
・1956~1959年 Arabia在籍
・1959年 秋 ヘルシンキの芸術教育学科に入学し、教員資格を取得
・1960~1963年 高校の美術教師
・1963年 Nuutajarviの工場 デザインチームに入職
・1964年 カステヘルミ(Kastegelmi)デザイン
・1966年 FRORA デザイン
参考文献
Oiva Toikka Glass and Design
memento フラワーパワー
カステヘルミ (④Oiva Toikka Glass and Design part 4)
Oiva Toikka Glass and Designを読み、思ったことや調べたことを書いています。
長いシリーズになると思いますので、気長にお付き合いください😊
間違っている箇所があるかもしれません。ご容赦ください。
前回Oiva Toikka Glass and Design part 3 の続きにもなります。
1963年OivaはラップランドにあるSodankyla高校の美術教師をしていましたが、
Nuutajarviのガラス工場で働くアーティストの募集に応募。高倍率でしたが、見事合格して働き始めました。
Nuutajarviで職を得たことで、OivaはラップランドからNuutajarviへ移住し、奥様のInkeriも再び働くことが出来るようになりました。
OivaはKaj Franckの招きで、ガラス工場のデザインチームに配属されました。
1964年にOivaは「DEW DROP」(カステヘルミ(Kastegelmi))をデザインしました。
今回はカステヘルミについてです。
カステヘルミは我が家でもキャンドルホルダーやプレートを愛用中です🥰

「DEW DROP」(カステヘルミ(Kastegelmi))シリーズはプレス成形の技法で造られます💠
プレス成形とは
鋳造法を量産化するために開発された技法。原型を金型プレス機で、溶けたガラスに押しつけ成形する技法で、鋳型を壊さないで何度も鋳型を使用できるようにした点が大きな特徴。
鋳造法とは
古くから続くガラス製法技術の1つ。耐火粘土で原型の鋳型を造り、そこに溶けたガラスを流し込みガラスを型になじませ、冷却した後鋳型を壊す技法。鋳型を壊してしまうため、大量生産には向いていません。そのためプレス成形の技術が開発されました。
プレス成形の欠点として、重い・ガラスの継ぎ目のバリ(ガラスが継ぎ目からはみ出た部分)があります。
重いことを解消するため、金型に空洞を造り、またこの空洞(しずく型の装飾)はガラスの継ぎ目の難点を解消する役目を果たしました。カステヘルミをリリースするまでに何回も試行錯誤し、現在の形にたどり着いたようです。
カステヘルミのガラスの美しい装飾は、ただ美しいだけでなく軽量化や難点を解消する目的があったことに驚きました 🫢
Oivaはカステヘルミを造るに当たって、こう語っています。
「ガラスの全行程はチャレンジです。それが人々の注意を喚起し、心を動かすのです。また大量生産されたものは長持ちしなければならない。かつ美しい。使い終わって、それが忘れ去られても、その時は飾りになるように。」

我が家でも使っていない時でも、光を浴びてキラキラしている姿が好きです。
Kastegelmi(カステヘルミ)の名前
フィンランド語で露のしずくを意味します。朝日を浴びて、まるで連なる真珠のようにきらめく朝露にインスピレーションを得てデザイン・命名されました。Oivaの多くの作品がそうであるように、身の回りの自然からインスピレーションを得たものです。美しい物は身近にあるのですね😊✨

ただ美しいだけでなく、実用的であること、これが現在に至るまで愛されている所以だと思います。
Vintageのカステヘルミ
粒の大きさ(突起)がVintageの方が大きく、より光の反射でよりガラスの輝きが増すように設計されています。2010年から復刻版がリリースされています。Vintageは持っていないのですが、いつかは手にとって見てみたいです✨

最後にカステヘルミ50周年記念のOivaToikkaインタビューの動画です。
フィンランド語でもインタビュー動画ですが、YouTubeの仕様で英語字幕をつけることが可能です。もしも字幕が表示されないときは設定を見てみてください。
動画の最後に、「自身が結婚して51年、カステヘルミの年齢よりそのことが自慢」と笑顔で語っていらっしゃる姿が奥様との仲の良さを伺わせて、ほっこりしました🥰
英語のインタビュー動画もありますが、フィンランド語の方が、よりOivaの素が見える感じがして好きです。
ここまで見て頂き、ありがとうございました。

Oiva 足跡 年表(自分の備忘録的な目的です)
・1931年 5月29日 Oiva Toikka 誕生
・1953年 ヘルシンキ工業大学陶芸学科に入学
・1956年 Nuutajarviの工場で研修生として働く
・1956~1959年 Arabia在籍
・1959年 秋 ヘルシンキの芸術教育学科に入学し、教員資格を取得
・1960~1963年 高校の美術教師
・1963年 Nuutajarviの工場 デザインチームに入職
・1964年 カステヘルミ(Kastegelmi)デザイン
参考文献
Oiva Toikka Glass and Design
Table LABO ガラスの技法
バーテック バリについて
③ Oiva Toikka Glass and Design part3

Oiva Toikka Glass and Designを読み、思ったことや調べたことを書いています。
長いシリーズになると思いますので、気長にお付き合いください😊
間違っている箇所があるかもしれません。ご容赦ください。
前回は、戦後のフィンランドデザインとOivaの学生時代の話でした。
今回は卒業後の話になります。
1956年から1959年までArabia(アラビア)社で活躍します。アラビア社在籍時代の話です。
卒業後は、本当の意味で自分の才能が試されていくことになります。今もそうですが、卒業後に仕事を得て食べていくということは、極めて重要なことでした。
OivaとInkeri Toikkaは1956年にヘルシンキ工業大学の陶芸学科を卒業後、フィンランド最大の磁器工場であるアラビア社のアート部門でデザイナーを務めることになりました。
2人は大学を卒業し、1年後の1957年に結婚しました🤵♂️👰💕

↑OivaとInkeri Toikkaと3人の息子(Jussi,Ville,Tuomas)さん
🍀息子さんの名前の順番は写真と違うかもしれません💦 そっくりですね☺️✨
立て続けに2人の子どもに恵まれたため、奥様であるInkeriは、育児に専念することになりました。
当時、1951年と1954年のミラノ・トリエンナーレで大きな賞を獲得し、大成功を収めていたアラビア社は、国際市場の拡大、特にアメリカへの進出に力を入れていました。
Oivaはアラビアで、Birger Kaipiainen(ビルガー・カイピアイネン)、Toini Muona(トイニ・ムオナ)、Kyllikki Salmenhaara(キーリッキ・サルメンハーラ)、Rut Bryk(ルート・ブリュック)、Michael Schilkin(マイケル・シルキン)など戦後間もない時期に活躍した著名なフィンランド人陶芸家と交流し、彼らのアシスタントを務めていました。
今でも馴染みのあるビックネームばかりです!

Kurt Ekholm , Leavon Mickwitz , Birger Kaipiainen , Rut Bryk
アラビアのアート部門は1930年代初頭に設立され、アーティストやデザイナーが陶芸により実験的に取り組むことが出来る自由で創造的な環境を提供することを目的としていました。
アラビアのアート部門の理念と精神は、創造的な自由主義で、より彫刻的で芸術的な次元の作品が好まれ、陶芸科達は特定の作業手順に従ってはいなかったようです。
これはKaj Franckの大量生産のためのオブジェのデザインを求められる工業デザイン部門とは対照的でした。
当時のアラビアのアート部門にいたアーティストについて
Birger Kaipiainen(ビルガー・カイピアイネン)
1950年代はフィンランドデザインの黄金期とも呼ばれ、その中心にいたアーティストです。OivaがKaipiainenのデザイナーチームに入った時は、Kaipiainenはスウェーデンの陶磁器メーカーであるRorstrandに在籍していましたが、アラビアを頻繁に訪れ、その影響力は大きいものでした。
Oivaより16歳年上で、Oivaを可愛がっていたようです。Oivaと同じカレリア地方出身です。同じ出身地で仲良くなっていったのかな、なんで想像が膨らみます😊✨
Kaipiainenが手がけたもので、PARATIISI(パラティッシ)シリーズやシロツメクサ(クローバー)が描かれたAPILAなどはあまりにも有名だと思います。
私は北欧食器には疎いのですが、その私でも知っている、まさにそんな偉大な方です。
独自な芸術作品の製作にほとんど専念し、大量生産の食器をデザインすることにはめったに脚を踏み入れませんでした。演劇、音楽、バレエ、オペラ、そして故郷のカレリアから多くのインスピレーションを受け、常に新しい表現方法を模索しており、Kaipiainenにとって工業デザインは脇役に過ぎなかったのです。

Kyllikki Salmenhaara(キーリッキ・サルメンハーラ)
卓越した轆轤の技術を芸術にまで磨き上げた、女性陶芸家です。彼女のつくる作品は、シンプルで印象的なフォルム、力強いライン、部分的に施釉された凹凸のある表面など
素地の質感を生かしたものが特徴です。1956年に奨学生として渡米後は、国際性と新しいアイディアを持ち込み、独自の作風を発展させ、ミラノトリエンナーレでグランプリを獲得するなど、国内外で高い評価を受けました。

Rut Bryk(ルート・ブリュック)
職人たちと共に独自の成型技術を開発し、巧みな釉薬技法とスタンプやエングレービングによる加飾で植物や鳥、動物、建物など日常をモチーフにしたオリジナルの陶板をつくりました。重厚でエレガントな釉薬の輝きと、独自の自然観にもとづく繊細な図や形態は、今も多くの人々を魅了しています。
ブリュックの夫は、フィンランド・デザインの巨匠タピオ・ヴィルカラです。(調べるまで、知りませんでした😅)
RutとTapioを引き合わせたのはKaipiainenのようです😌💕(家庭画報ルートブリュック特集2019.8.23より)
フィンランドのエスポー近代美術館(EMMA-Espoo Museum of Modern Art)に夫妻のコレクションが多数収蔵されているようなので、一度は訪れてみたいです!

Michael Schilkin(マイケル・シルキン)
ロシア出身のカリスマ的人物で、アートセラミックの世界では国際的にも高く評価されています。陶芸作品のほか、彫刻家として動物等をモチーフとした作品を多く生み出しました。Schilkinの彫刻作品は、表面に大きく溝をつけ質感豊かにし、青磁や銅赤の釉薬を使い仕上げ、見る人に緊張感とドラマティックな印象を与えます。
アラビア時代にOivaがメインアシスタントを務め、多くの影響を受けた人物です。
Oivaは、師であるSchilkinのモダニズム(近代主義)の制約に縛られない、エキゾチックかつ原始的、瞑想的かつユーモラスで遊び心のある創造的な精神に、同属的なものを見出していました。Oivaがこの時代に残した彫刻作品にその影響を見て取れます。
象徴的、異国的、彫刻的なものを強調する技法は、Oivaが技術的、美学的に熟達することでより顕著になりました。古代の雰囲気を持つ彫刻的な「HORSE」という作品や高度に様式化された人物と細かいディテールを持つより造形的な「ROMULUS AND REMUS」にそれを見ることが出来ます。

↑「HORSE」1958

↑「ROMULUS AND REMUS」1958
ロムルス とレムス は、ローマの建国神話に登場する双子の兄弟で、ローマの建設者。
またこの時期には、拷問を受けたような姿勢、苦悶の表情、腕が横に伸び、実際の身体をのぞき込むことが出来る開口部を持つ、やや不穏な印象を受ける「STANDING FIGURE」(立像)もあります。古代ギリシャ、ローマ、古代のテーマは、この時期のOivaの創作活動の多くを占め、彼のキャリアを通じて何度も繰り返し登場することになります。
OivaはSchilkinのアシスタントになり、初めて彫刻制作の実世界に足を踏み入れ、また同時期にいたアラビアの多彩なアーティスト達と関わることで、才能を開花させていきました。
Oivaの作品は、近代主義的なタピオ・ヴィルカラやティモ・サルパネヴァよりも、視覚的・概念的な意味でBirger Kaipiainen(ビルガー・カイピアイネン)やMichael Schilkin(マイケル・シルキン)に近いものがありました。
この時期のOivaの陶芸作品にmajolica技法を用いた怒った顔の魚のプレート「FISHPLATE」があります。

↑「FISHPLATE」1959
majolica技法は、Oivaのお気に入りの技法の1つで、豊かで繊細な装飾を施した表面に強烈な色彩を実現できる技法です。魚のモチーフは、Oivaが学生時代に制作した「THREE FISHES」に似たものがありますが、より高度に装飾され洗練されたものになっています。
「THREE FISHES」については、blog記事のpart2を見て下さい~。
民藝や農民文化へのオマージュは、カレリアへの出自に回帰しているように思われます。

↑「SISTER AND HER BROTHER」1958
1958年、Oivaは初の陶芸作品の個展を開いています。
エキゾチックな人物や動物、建物のイメージを描いた一連の陶板「SISTER AND HER BROTHER」を展示しました。
Oivaは1959年にアラビア社を退職しています。在籍期間はわずか3年でした。
なぜその職を辞したのでしょうか?
理由は家族のためでした。
1957年に結婚後、すぐに2人の息子に恵まれ、また3男も産まれたため、Oiva1人の給料で家族を養っていくのに不安を覚えたのです。アラビア社は売り上げ高に応じた不安定な労働形態だったため、もっと安定し経済的にもいい職場を探しました。
1959年の秋、Oivaはヘルシンキの芸術教育学科に入学し、教員資格を取得しました。教師として卒業すると、まずMARIMEKKOのデザイナーとして夏の臨時ポストにつき、当初はMaija Isolaとともに創立10周年記念展に取り組みました。MARIMEKKOのために、CHICHWEEDやHEMPなど4種類のファブリックをデザインし、Annika Rimalaの最初のコレクションに使用されました。
1年後の、1960年の秋にOivaはラップランドにあるSodankyla高校の美術教師として働き始め1963年まで勤めました。教師であった3年間は、もちろん楽しんでもいましたが自分の芸術活動を発展、修練する機会はほとんどありませんでした。
アラビア在籍時代のお話はここまでです。
私は、スカンディナビアの著名デザイナーさん達の名前とデザインしたプロダクトしか知らなかったのですが、調べることで当時の交流なども想像できて、嬉しくなりました✨
特にRutとTapioを引き合わせたのはKaipiainenや、KaipiainenがOivaを可愛がっていた辺りにグッときます(笑)
読んで頂き、ありがとうございました〜😊✨
次回は、高校教師を辞めNuutajarviのガラス工場で働き始めてからのことを書こうと思います。
Oiva 足跡 年表(自分の備忘録的な目的です)
・1931年 5月29日 Oiva Toikka 誕生
・1953年 ヘルシンキ工業大学陶芸学科に入学
・1956年 Nuutajarviの工場で研修生として働く
・1956~1959年 Arabia在籍(アート部門)
・1959年 秋 ヘルシンキの芸術教育学科に入学し、教員資格を取得
・1960~1963年 高校の美術教師
参考文献
Oiva Toikka Glass and Design
家庭画報 2019年8月23日
② Oiva Toikka Glass and Design part2

Oiva Toikka Glass and Designを読み、思ったことや調べたことを書いています。
長いシリーズになると思いますので、気長にお付き合いください😊
間違っている箇所があるかもしれません。ご容赦ください。
ロシアのフィンランド侵攻による戦争で、Oiva一家は2度の転居を余儀なくされています。カレリアには2度と戻ることはありませんでした。
その後一家は、ヘルシンキから北へ20キロほど離れた森の中の村、Hämeenkylä(ハメーンキュラ)に居を構えるようになりました。Oivaは、交通手段がないため、毎日6キロの道のりを歩いて学校に通っていました。学校では、Oivaは美術の授業に熱中し、絵を描くことに高い関心を持ち続けました。

↑Oivaのスケッチ(1950年代)
カラフルで自由なところが好きです。
Oivaの足跡をたどる前に、戦後のフィンランドの芸術について少し調べてみました。
戦争について 外務省HPに年表がありました。この年表を参考にblogに記載している戦後とは、1948年以降としています。

戦後のフィンランドの芸術について
戦後、フィンランドは北欧の中でも貧しい地域でした。ロシアとの戦いで、土地を奪われただけでなく、多額の賠償金や難民を抱えていたのです。
デザイン性に優れ、品質がよく手頃な値段の実用的な家庭用品の設計と製造は、国家の課題でもあり、求められているものだったのです。その中で現在の礎となるフィンランドデザインは発展をとげました。
フィンランドを代表するブランドのMARIMEKKO(マリメッコ)も、戦後の1951年に創立されました。戦後の暗い時代にマリメッコの色鮮やかなカラーは、フィンランドの人々を明るく勇気づけたことでしょう☺️✨
また当時の伝統的な染物やプリントでなく、安価なシルクスクリーン印刷を用いたマリメッコのテキスタイルも、デザイン性に優れ、品質がよく手頃な値段の実用的な家庭用品ということで、人々に受け入れられたのだと思います。

ウルティマツーレなどでも有名なTapio Wirkkala(タピオ・ヴィルカラ)、Iittalaでも活躍したTimo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)も戦後のフィンランドの工業デザインに大きな貢献をしています。
Oivaの学生時代
デザインの世界でフィンランドが成功する兆しを見せていた頃、
1953年、Oivaはヘルシンキ工業大学の陶芸学科に入学します。奥様のInkeri Toikkaとは大学で出会われたようですね❤️奥様とは、ネコやうさぎなどのかわいいモチーフのガラス作品やOivaとの共同のBird作品もあります。
Oivaは、当初はグラフィックデザイン科に入学希望でしたが、入学が許可されるか確信が持てなかったため、陶芸科に入学しました。
Curiously, Toikka was the only male student in the ceramics department,
a situation that he recalls with a smile.不思議なことに、陶芸科の男子学生はToikka1人だけだったと笑顔で回想しています。
Oiva Toikka Glass and Design P21
結果的に、陶芸はOivaの豊かな表現と装飾センスを発展させるのにぴったりな場所でした。

陶芸科では基礎的な花瓶や鉢などを学び技量を高めましたが、Oivaは次第に粘土をより自由に扱うことで得られる彫刻的な可能性に目を向けるようになっていきました。
個性的で独特な粘土へのアプローチに取り組み始め、それは学生最後の年に残した作品「THREE FISHES」に現れています。

↑ 1956年「THREE FISHES」
よく見ると3匹の魚が…🐟🐟🐟
卒業制作的な作品でしょうか。この作品は美術館収蔵ではなく、Oivaの自宅にずっと保管されていた…と聞いたことがあります(お気に入りの作品だったのかな☺️💙)
3年後のArabia在籍時代にも学生時代と同じ魚のFISH PLATEを制作していますが、より洗練されたものになっている印象です(下写真)

1956年、Kaj Franckの招待を受け、大学の夏休み利用し、OivaはInkeri Toikka(旧姓Iissalo)含む2人の学生とともに、Nuutajarviの工場で研修生として働きました。工場で学びながら、Oivaは陶芸に取り組み、粘土の彫刻的な可能性を実験・探求するアーティストとしての道を歩み始めました。ここで、Oiva達はNuutajarviのArabia磁器工場とガラス工場の工業デザインの責任者及び講師でもあったKaj Franckの考え方を学びました。しかし、決してKaj Franckに染まることはなく、自身の独自性を追求していくのです。
工場での研修は、専攻していた陶芸以外の新しい素材(ガラス)にも触れる貴重な経験となりました。

↑ PLATE,VASE AND COLUMN 1955 Riihimakiガラス美術館収蔵

↑ SCULPTURAL FORM 1955 Riihimakiガラス美術館収蔵
Oivaは上記のような、従来の型を破るガラスのオブジェを制作し、まったく予想外の形で表現しました。
Oivaの制作するオブジェはカラフルで、権威や伝統の制約から自由であり、工業デザインよりもむしろ抽象絵画や彫刻的陶芸の世界からヒントを得たように大胆かつダイナミックでした🌈これらのガラスの実験作品群は、後にOivaが制作する数々の素晴らしい作品の基になるものです。もちろんBirdもですね😊✨
Oivaの学生時代の話はここまでです。
私が現在も大好きな北欧デザインは、フィンランドの戦後に発展したことなどはあまり意識していなかったため新たな発見でした🌈また陶芸科からスタートしたことは、意外にも思いましたが花瓶や器ではなく、粘土への造形を追求するという形で進んでいったことはなんだか納得出来るものがあります。
ここまで読んで頂きありがとうございました🐦✨
次はOivaが大学を卒業した後のキャリアの話に移っていきます。
ご意見、ご感想などお気軽にお願いします🐥~
Oiva 足跡年表(自分の備忘録的な目的です)
・1931年 5月29日 Oiva Toikka 誕生
・1953年 ヘルシンキ工業大学陶芸学科に入学
・1956年 Nuutajarviの工場で研修生として働く
参考文献
Oiva Toikka Glass and Design
AERA 2017年2月6日号
外務省HP フィンランド 一般事情の項
Bird 製作動画 part1
今回はBirdの製作動画のおすすめです。
動画が長いので、土曜日に更新してみました。
土曜日がお仕事の方はごめんなさい💦
美しいBird達がどのように製作されているのか、いくつか見た中でおすすめの動画をご紹介しますね😊💕
ニューヨークにあるコーニングガラス美術館(Corning Museum of Glass )でのデモンストレーション映像です。コーニングガラス美術館(CMOG)は毎年独自のAnnual Birdをだしている美術館です。
1時間30分あるので、時間があるときにおすすめです🐤🍀
見たいところだけ見るのも😉
2019年10月撮影
・HERON
・EAGLE
・CARDINAL
・WOODPECKER
・RAINBOW BIRD
の順で作成されています。
全て発売された既存のものと違うカラーで面白く、今後発売されるかもしれない新しいBirdの未来も感じられます😌🌈個人的にはEAGLEがボディの透け感と首周りのもふもふ感(?)が好きなので、実際に販売希望です😘
みなさんはどの子が好きですか😊❓
Oivaが亡くなり、今後でてくるBirdは全くの新しい形というは難しいようなので、既存のBirdの色替えになると思うので尚更です。
動画の中では、既存のBirdの色と実際のBirdの比較もされています。WOODPECKER
とRAINBOW BIRDが意外と実際のBirdに似ていたので驚きでした🫢とてもカラフルなBirdもいるんですね❗️
🍀コーニングガラス美術館 動画
デモンストレーションで作成したBirdは実際に販売もされます。1点ものや珍しいBirdがが欲しい人には垂涎ものだと思います😆✨
デモンストレーションでは既存のBirdも新しい色で作られ、それは新しい色を試すいい機会にもなっているようです🌈
過去には珍しいカラーのLeppainen(Black)やOwlet(Red、White)もデモンストレーションで作成されました。今ではどこにいるのかと思いを馳せてしまいます🕊
ScopeさんのAno・MenoのもとになったLeppainen(SSKK2017)は優しいピンク色ですが、過去MOGで作られたおそらく1点もののBlack(完全にBlackではなくダークライラックかもしれません)のLeppainenもとても素敵なので、また作って欲しいです🐤💕💕
余談ですが、ワシントン州のTACOMAガラス美術館(MOG)もBirdのデモンストレーションや作品を製作しています。Scopeさんが発売したNorthern Owl yellowも2011年にTACOMAで作られた子が基になっています。
ちなみに、MOGのホームページにはデモンストレーションで製作されたBirdで、まだ売れていない子は販売中です🐤❗️
値段は高いですが、世界に1点(もしくは数点)のBirdと考えるとアリ?かもしれません。未だに売れていないのは、写真写りのような気も…😅
↓ MOG HOT SHOPへ飛びます
https://museumofglassstore.org/collections/iittala-birds

どちらのガラス美術館も一度は訪れてみたい場所の1つです。
イッタラのガラス職人には、日本人の佐藤ミツルさんという方もいます。私も別の人生があれば、ガラス職人になりたいなあと思います🏃🏃
ガラス職人にはどうやってなるのでしょうか??調べてまたblogに書こうと思います🧐
ここまで見て頂きありがとうございました🐤✨
